京都地方裁判所 平成2年(ワ)1191号 判決 1994年1月27日
原告
湯浅重雄
ほか一名
被告
田村長雄
主文
一 被告は原告らに対し各一六五八万九七四三円及びこれに対する平成五年四月四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は五分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。
四 この判決は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求の趣旨
被告は原告らに対し各金二五〇〇万円(一部請求)及びこれに対する平成五年四月四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二争いのない事実
一 本件交通事故の発生
1 発生日時 昭和六一年六月一七日午後五時五〇分ごろ
2 発生場所 京都市右京区西院安塚町六番地無名通
3 加害者 普通乗用自動車(京五八る三三四六、以下、「加害車」という。)を運転していた被告
4 被害者 無名通西端を歩いていた亡湯浅裕信
5 態様 亡裕信は無名通の路上西端を北向きに歩行していた。被告は北向きに加害車を時速約三〇キロメートルで運転中、約一八メートル手前で歩行中の亡裕信を発見したが、減速せずそのまま加害車を走行させた。ところが、被告は、対向車が南進してきたため、加害車の左前方を歩いている亡裕信を注視せず、ハンドルを左に切つたため、加害車の左前部を亡裕信に衝突させ傷害を負わせた
6 亡裕信の死亡 副腎白質脳症発症により平成元年六月三日以降植物人間の状態となり、平成五年四月三日に死亡した。
二 責任原因
被告は、加害車を自己のため運行の用に供していたところ、歩行中の亡裕信を約一八メートル手前で認めながら、減速せず、対向車に気をとられて前方注視を怠りハンドルを左に切つて漫然と加害車を走行させた過失により本件交通事故を発生させ、亡裕信に傷害を負わせた。したがつて、被告は、亡裕信の損害につき、不法行為として民法七〇九条及び運行供用者として自賠法三条により損害賠償責任を負う。
三 亡裕信の受傷内容及び治療経過
1 受傷内容
頭部外傷Ⅱ型 頚部挫傷、腰部打撲、逆行性健忘症
2 亡裕信の治療経過
(一) 京都五条病院
昭和六一年六月一七日から同年七月一九日まで入院(入院日数三三日)
(二) 京都市立病院
(1) 昭和六一年七月一九日から同年九月一一日まで入院(入院日数五四日)
(2) 平成元年六月三日から平成五年二月一六日まで入院(平成元年七月一一日から一三日まで上京病院に検査のため一時転院)
(三) 京都大学附属病院
(1) 昭和六三年四月二〇日から同年六月一一日まで入院(入院日数五三日)
(2) 昭和六三年三月一六日、四月四日、四月一五日、六月一五日、一一月一一日、平成元年三月二九日につき通院(通院実日数六日)
(四) 洛和会音羽病院
昭和六三年六月二二日から同年一〇月一一日まで入院(入院日数一一二日)
(五) 京都市身体障害者リハビリテーシヨンセンター
昭和六一年九月一一日から昭和六三年一二月二二日まで通院
(六) 毛利病院
平成五年二月一六日より同年二月二四日まで入院
(七) 京都双岡病院
平成五年二月二四日より同年四月三日まで入院
四 損害の補填 一六四万五九七〇円
1 京都五条病院 一〇〇万円
2 西京病院 二万三七五〇円
3 京都市立病院 六二万二二二〇円
五 訴訟承継
訴訟承継人原告らは亡裕信の父母であり、法定相続分は各二分の一である。
第三争点
一 原告らは、亡裕信において本件事故をきつかけとして副腎白質脳症を発症し、寝たきりの状態となり、平成元年六月三日に症状固定し、後遺障害等級一級三号に該当するに至り、その結果死亡したものであると主張し、被告は亡裕信の副腎白質脳症は劣性遺伝によるものであり、本件事故による受傷と因果関係がないと主張してこれを争つている。
二 損害額につき争いがある。
第四争点に対する判断
一 亡裕信の副腎白質脳症(ALD)は本件事故によつて発症したものであるか
1 本件事故前の亡裕信の健康並びに生活状態
(一) 亡裕信は昭和三八年一二月一〇日生れの男性であり、三、四歳のころ神経質のため三、四月に一回小児科病院で診察を受けていたが、幼稚園に入園した後はこれも回復し、小学校一年のころ肺炎などのため一週間病院に入院したものの、学校給食のときおそく終了するくらいで特に健康面で目立つところもなく、学校での評価も、問題を考えるのに時間がかかる、真面目に努力するので成績は向上している、図画工作はすぐれている、文章の読解が充分でないことがあるとされていた。そして、亡裕信は中学校で登山クラブに所属し、成績は概ね普通、ややすぐれている、美術及び英語はすぐれていると評価されたこともあつた。昭和五四年四月に高校入学後、自転車で片道二〇ないし二五分をかけて通学し、卓球クラブに所属し、レギユラーとして試合に出場し、成績は普通(平均)、芸術及び商業はややすぐれていると評価されて特に病歴はなかつた。
(二) さらに、亡裕信は昭和五七年四月に嵯峨美術短期大学美術学科(デザイン専攻・ビジユアルデザイン)に入学し、七四単位を修得し、優六科目(絵画論・デザイン史概説、ビジユアルデザイン論など)、良一三科目、可一一科目の成績であり、昭和五八年四月の健康診断で視力(左右一・五)など、聴力、レントゲン所見、血圧がすべて正常とされていた。亡裕信は同大学でも卓球試合に出場したこともあり、在学中特に病気怪我もなかつた。そして、昭和五九年三月に同大学を卒業した。
(三) 亡裕信は大学卒業前の二月に大阪アズマ株式会社に入社したものの、会社の説明では仕事はできるがビジネスサイクルに合わないとの理由で退社し、昭和五九年九月にさらにビジユアルデザイン勉強のため関西デザイン研究所に入学し、昭和六〇年三月に卒業した。そして、四月に豊福デザイン研究所にアルバイト勤務をしたが、一月間の手当が一万円であつたので、不満となり五月にやめた。昭和六〇年六月に三洋写真製版に入社し、午前八時に自宅を出て、帰宅は午後一〇時から一二時ころとなり、絵及び写真の組合せの仕事に従事し、皆出勤であり、月給一〇万円を得ていた。のちに亡裕信の父が同会社から聞いたところでは、亡裕信は同じことを繰り返し教えなくてはならない、仕事がおそいということであつたが、亡裕信自身は会社の人から宗教団体への加入を勧められ、それがいやであつたとして昭和六一年二月末に同社を退職した。
(四) 亡裕信は昭和五八年に技能講習を受け、昭和六〇年一一月に原動機付自転車運転免許証を取得していたが、昭和六一年三月ころから普通自動車運転免許取得のためデルタ自動車教習所に入所し、その間四月から一月間第一紙工にレタツチのアルバイトに行つていたが、そのころも特に身体の異常はなく、医者に診断を受けることもなかつた。
(以上の証拠、検甲六、甲一八ないし三六、甲三七の一、二、甲三九の一、二、(尋問時証人)原告湯浅典子)
2 本件事故の状況並びに事故直後の亡裕信の症状
(一) 被告は、事故状況などにつき加害車の左サイドミラーが亡裕信の右肩に衝突し、亡裕信において転倒したので声をかけたが、意識を失い返事がなかつたと述べている。五条病院に収容された当日、亡裕信は事故前後の記憶がなく、うわごとを言い、見当識がなく、住所、氏名及び電話番号を繰返し言つていたが、医師は、家族に対して、レントゲン上骨折線がなく、CT上も血腫がなくさしあたつて安全とあると説明した。
(二) 亡裕信は、翌一八日には、うわごとが止まり、目を開けたが、頭痛を訴え、一九日にも頭痛、頚痛及び背痛を訴え、自分の名前、生年月日及び電話番号を言うことができたものの、父母の名前などは答えることができず、逆行性健忘症と診断された。二三日には、亡裕信は少し調子が良くなつたと話し、二四日には後頭部痛が軽快したが、二八日には家族から仮名は読めるが、漢字が読めないとの訴えがあり、同病院医師は六月三〇日に記銘力、計算力等が回復せず、脳外科的に問題はないが、治療などの意見を求め、京都市立病院に亡裕信の診察を依頼した。京都市立病院でも、亡裕信は暗算及び口述筆記が不可とされ、七月一九日に外傷後高脳神経機能障害の疑、偽痴呆の病名で入院し、当初、大学通学及び会社勤務のころの状態も良く記憶し、話すことができたこともあつた。
(以上の証拠、乙二の一、二、乙三の一、二)
3 その後の亡裕信の症状
しかし、亡裕信は、その後症状が回復することなく、勤めに出ることもなく、殆ど入院したままで、前記京大病院入院中、知的機能評価検査でも殆ど何も答えず、理解、自発性の低下がみられ、諸検査の結果副腎白質ジストロフイーの疑いがあるとされ、その後、診断が確定したのち、昭和六三年五月一八日のカルテ(市立病院)によると、一月前から母親の介助で食べさせてもらう、自分で口へ物を運ぼうとしない、夜間におきて昼間に眠る、ねたきりで動こうとしないとされている。
そして、亡裕信は、昭和六三年六月二三日に洛和会音羽病院でも副腎白質ジストロフイーと判定され、平成元年六月三日に京都市立病院に再入院したときには植物人間の状態となり、以後症状が固定したものである。
(以上の証拠、乙二の二、三)
4 副腎白質脳症の発症原因に関する諸見解
(一) 副腎白質ジストロフイーは伴性劣性遺伝によるもので原因遺伝子の存在も明らかであるとされている(乙一、一九九〇年九月発行のモダン・メデイシン)。そして、多くは三~一五才で発症し、行動異常、視力障害、歩行障害、知能障害ではじまり、数年の経過で死亡することを免れない(乙八、甲六〇ないし六二)とされている。
(二) 新潟大学脳研究所神経内科宮武正は、弁護士の平成二年八月九日付照会に対して、「頭部外傷により副腎白質脳症を発症することはありうる。交通事故に基づく頭部外傷により副腎白質脳症を発症した症例はある。」と回答している(甲一七〇一、二)。また、脳白質ジストロフイーは、病理学的に脳白質の脱髄などをきたす疾患群であり、種々な先天的、後天的病因により発症するとの見解がある(乙八、日本臨床昭和五年三月二三日発行)。また、ALDを脳白質の脱髄をきたす遺伝性疾患であるとし、「三三才の女性が入院三月前ごろよりつじつまの合わないことを言うことを家人に気づかれる、その後階段よりの転落をきつかけに症状が進行した」ALDの症例の報告もある(乙九、老年神経学一九八七年発行)。ALDの病因としては、極長鎖脂肪酸分解の先天性の障害とする報告もあるが、まだ確立されていないとの見解もある(乙一〇、神経内科一九八四年)。
5 判断
(一) 亡裕信の副腎白質脳症発症と本件事故との間の因果関係
右1の事実によれば、亡裕信は本件事故前通常の健康な青年であり、また、前記大学での学業成績が特に優秀であつたとは言い難いけれども、通常の学力を有し、青年に相応しい運動もしていたことが明らかであり、社会人となつてからも異常の点は認められない。亡裕信が昭和六三年三月、四月ころ作成した絵及びデツサン(検甲一ないし五、検甲七、原告湯浅典子)をみても、その点に関する同人の能力が特に劣るものとも思われない。
しかるに、右2の事実によれば、亡裕信は本件事故後意識不明の状態となり、回復後も、逆行性健忘症と診断されていたが、さらに右3の事実によれば、その後次第に機能低下が進行し、副腎白質ジストロフイー(ALD)と判定されるに至り、結局死亡するに至つたものである。
右4の事実によれば、ALDは伴性劣性遺伝によるものであり、原因遺伝子を有する者は、発症すると数年の経過により死亡するものとする見解が有力であるけれども、原因遺伝子を有する者すべてがただちにALDを発症するものとはされておらず、むしろ、種々な先天的後天的病因により発症するとの見解があり、報告例としても、階段よりの転落をきつかけに症状が発症した例があり、新潟大学宮武正も、また、頭部外傷により副腎白質脳症を発症させるとの見解を示し、その発症例もあるとしている。このように、頭部外傷をきつかけにALDを発症するに至るという見解が存する以上、亡裕信のALD症状か遺伝に基づくものであり、本件事故と全く因果関係がなく、早晩亡裕信がALDを発症するものとするわけにはいかない。
したがつて、亡裕信にALD発症の遺伝子が存在していたこと自体を否定することは困難であるけれども、本件交通事故による頭部外傷Ⅱ型の受傷によつてALDを発症させたものであると推測するのが相当であり、本件事故と右発症との間に因果関係が存するものというべきである。
(二) 本件事故のALD発症に対する寄与割合
亡裕信が本件事故に遭遇しなくとも、あるいは将来ALDを発症させるに至る可能性も全く否定することはできないし、また、逆に発症することなく生涯を送ることも充分に考えられるところである。しかし、当裁判所は亡裕信が本件事故による外傷に基づいてALDを発症させたとの見解を採用するものであるが、被告に対して亡裕信に発生した損害を負担させるにあたつては、公平の観点からみても本件事故の寄与割合を定め、その限度で被告に対して損害賠償を命じるのが相当であり、以上の諸事情を考慮のうえ本件事故の寄与率を四割と定めることとする。
二 損害 八〇八一万三六四四円
症状固定前の分 六九九万二五四五円
1 治療費 二四五万四六六五円
(一) 京都五条病院(同額請求) 一〇〇万円
(証拠、甲三、四、五八)
(二) 京都大学医学部付属病院(同額請求) 一八万六五六〇円
(証拠、甲九、一〇、五八)
(三) 京都市立病院(一五八万六八四〇円請求) 六二万二二二〇円
(証拠、甲六、五八、乙一六の一ないし四)
(甲七の治療費は症状固定日以後のものと思われる。)
(四) 洛和会音羽病院(同額請求) 四〇万三八六五円
(証拠、甲一二、五八)
(五) 京都市身体障害者リハビリテーシヨンセンター(同額請求) 四万〇五二〇円
(甲一三、五八、原告湯浅典子)
(六) 仏教大学心理クリニツクセンター(同額請求) 二〇万一五〇〇円
(甲一三、一四、五八、原告湯浅典子)
2 入院付添費(同額請求) 一〇万八〇〇〇円
原告湯浅典子付添、京都五条病院七日、洛和会音羽病院二〇日
一日当たり四〇〇〇円
(証拠、甲五八)
3 入院雑費(同額請求) 二五万三〇〇〇円
さきに認定した入院日数二五二日に平成元年六月三日(京都市立病院)を合算すると二五三日となる。
一日当たり一〇〇〇円
4 通院付添費(同額請求) 一三万四〇〇〇円
仏教大学心理クリニツクセンターへ昭和六一年一〇月六日から平成元年四月二五日まで通院六七回
一回当たり二〇〇〇円
(証拠、甲一四)
5 通院交通費(同額請求) 四万二八八〇円
右クリニツクセンターに亡裕信と原告湯浅典子が通院、一人片道一六〇円(市バス)
160×2×2×67=42880
6 入通院慰謝料(同額請求) 四〇〇万円
症状固定後の分 七三八二万一〇九九円
1 治療費等(入院付添費、おむつ代、寝台自動車代を含む) 二一七万一二六四円
(一) 市立病院 一八九万〇六二七円
(二) 毛利病院 一三万〇七〇〇円
(三) 京都双岡病院 一四万九九三七円
2 入院雑費(同額請求) 一四〇万一〇〇〇円
平成元年六月三日から平成五年四月三日までの入院日数は一四〇一日
一日一〇〇〇円
以上の1及び2の額につき争いがない。その必要であつたことは前記一5において判断したとおりである。
3 逸失利益(五四五六万九二八四円請求)
(一) 症状固定日より死亡まで(一四一二万六二〇三円) 一三七二万五六三三円
亡裕信は、昭和五九年三月嵯峨美術短期大学卒業後、三洋写真製版等に就職して働いていたが、本件事故直前は運転免許取得のためデルタ自動車教習所に通いながら、再就職口を捜していたところであつた。亡裕信は、平成元年六月三日に症状固定し、以降植物人間の状態となつて労働能力を一〇〇%喪失し、平成五年四月三日に死亡した(原告湯浅典子)。
症状固定時、亡裕信は二五歳であるから、「賃金センサス平成元年第一巻第一表男子労働者高専・短大卒二五~二九才)の年収額は三五八万〇六〇〇円を基礎に症状固定日から死亡まで(三年一〇月間)に亡裕信が働いて得られる逸失利益を計算すると、一三七二万五六三三円(円未満切り捨て)となる。
(3580600×3)+(3580600×10/12)=13725633.33
10741800+2983833.33
(二) 死亡による逸失利益(四〇四四万三〇八一円請求) 四〇五二万三二〇二円
亡裕信は、本件事故に遭い死亡したため、将来労働によつて得られる利益を喪失したもので、「賃金センサス平成三年第一巻第一表男子労働者高専・短大卒」の平均年収額は四八〇万四八〇〇円となつているからこれを基礎にして生活費控除率を五〇%とし、六七歳まで就労可能として三八年間のライプニツツ係数一六・八六七八により中間利息を控除して、死亡日である平成五年四月時点(当時二九歳)における逸失利益の原価を算定すると、四〇五二万三二〇二円(円未満切り捨て)となる。
4804800×0.5×16.8678=40523202.72
4 死亡による慰謝料 一六〇〇万円
三 寄与割合による減額
右二の損害八〇八一万三六四四円を右一の寄与割合に従い減ずると、三二三二万五四五七円(円未満切り捨て)となる。
四 損害の補填
右三の三二三二万五四五七円から前記第二の四の補填額一六四万五九七〇円を差引くと、三〇六七万九四八七円となる。
五 弁護士費用(五〇〇万円) 二五〇万円
六 相続
原告らは、亡裕信の父母として亡裕信の右損害三三一七万九四八七円を二分の一あて相続したので各一六五八万九七四三円(円未満切り捨て)の損害賠償請求債権を有することとなる。
(裁判官 小北陽三)